☆☆☆ 少女アリス 05


第4話 花園

 ☆★ ここは誰の花園? ★☆
     
「うふふ。アリスとはいつも、ここで会うわね」
 開けた視界。
 何度か来て、見慣れてしまった、薄らぼんやりとした王宮庭園に幼い女王。
「ねえ、アリス? わたしはね、あなたに会いたくて、いつも、ここに来るの。知っていた?」
「いえ・・・」
 ひどく嬉しそうな女王を見て、アリスは戸惑いを隠せずに、揺れる声を出す。
 女王はいっそう嬉しそうな笑顔になると、
「アリスのおかげで、ここはわたしのお気に入りの場所のひとつになったのよ?」
 とっておきの秘密を話すように、声を秘めてそう言った。
「はあ・・・」
 アリスは訳もわからずに、気まづげな声を洩らすばかりだった。
「でも・・・ここは城内でしょう? 私は、何故ここにいるのか、分かりません。
 ・・・もちろん来た覚えなどないし、来る用もなかったはずですから・・・」
「まあ、そうなの?」
 女王は大袈裟に、口調だけで驚いて見せた。
 その顔は、どこか嬉々としていて、突然のはずのアリスとの再会と戸惑いを知っていたかのようだった。 
「でも、それならば、ちょうど良かったわ。
 ねえ、アリス。わたしと一緒にお散歩して下さらない? ねえ、ぜひ!!」
 何を勘違いしたのか、女王はまるでアリスの話など聞いていなかったように、決め付けるように言った。
 まるで、前から決めていた約束を果たすみたいに、すらすらと言葉を続け、しまいにはアリスの手を掴む女王。
 アリスは容易く手を取られ、行動を制限されたような気分になった。
「あの・・・女王様?」
「なあに、アリス。どうしたの? そんな変な顔をして・・・?」
 女王は、はしゃいで嬉しそうに笑うばかり。
「あのね、一人では心細くて行けない場所があったの。そこに行きましょう」
「いえ、私は・・・」
 後退りかけたアリスは手を強く引かれ、戸惑いげに断ろうとしたが、
「早く行きましょうよ」
 女王は、またもやアリスの言葉を遮ると、今度はぐいぐいとアリスを引っ張って行こうとした。
 アリスはアリスで、決して振り払えない力ではないだろうに、どうしてか逆らう事が出来ないでいる自分の足が不思議でならなかった。
「そこはね、たくさん木や花があって、大きな、わたしの背よりも大きな木がたくさん植えてあるの。
 だから、わたし一人だと、まるで食べられるような錯覚を起こして・・・とても怖くなってしまうの」
 女王はアリスの顔もろくに見ずに、アリスにいっさい構わずに、まるで最初からこうなると決まっていたことのように、アリスを熱心に誘う。
「どうしても一人では行けないの。でも、どうしても行ってみたい場所なのよ」
 女王は自分の都合しか考えてないようだ。
 アリスの意志など、どうでもいいような、関係ないような扱いだった。
「ですから、私は・・・!!」
 アリスが何かを言い終える前に、決まって女王は口を開いた。
「アリスが居てくれたら、どんなに心強いことでしょう!! きっと怖くない。そんな気がするの!」
 ・・・幾種類も用意されていた台詞を読んでいるようなほど、すらすらと言葉を重ねる女王。
 彼女はまるで、寄越された『女王』という役を、熱心に演じている役者のようだった。それほどに、不自然だとわかる自然さだった。
「ねえ、アリスゥ」
 期待に満ちた幼い眼差しも。
「行きましょうよ、ね? いいでしょう?」
 物をねだる子供特有の上目遣いの仕草も、何もかも!! 全てが造り物めいて感じられた。
 その幼い手を振り切り走り去ろうとした瞬間、この子供が『女王』であることを、可笑しなくらい酷く意識する。
 それはまるで、強制的に呼び起こされた記憶のような暴力さながらに。
 アリスは反抗する意識を奪われ、半ば無意識に脱力してしまう。
 緩んだ手から、承諾を得たと思った女王は、すかさず微笑む。
 それは、邪悪で無邪気な子供の笑みだった。
 自分の好きなようにする為には、騙すことも脅すことも、何でも許されると、信じている笑みだった・・・。
「さあ、行きましょうか。アリス」
 女王は、アリスとしっかりと指を絡め、どうしてか逆らうことの出来ないでいるアリスを連れて行ってしまった。
「あ・・・」
 足が思うように動かない。
 『赤い靴』を履いて踊り続けた少女のように、アリスの足は、言う事を聞かない。ただ、女王の跡をなぞるように踏みしめ続けるだけ。
「女王っ・・・、待って・・・!!」
 上手く喋ることも出来ず、アリスはただ女王の言いなりになって歩いた。足は止まらない。
 『呪い』という魔法をかけられたみたいに。
「・・・」
 そんなアリスを横目で満足そうに眺めながら、女王は弾む口調で話し掛けた。
「そこはね、とっても涼しいのよ。夏が来たら、そこに行けば、全然暑くないの。
 それにね、いつもいい匂いがするの。花のいろんな香りが混ざって、すっごく素敵な匂いになってるの。
 香水なんかよりも、ずっとずっと素敵なの!! だから、大好きなの!!」
 女王は行ったことのない『花園』の話を、まるで見て来たことのように話す。
「とっても大きな花園なのよ。今は、真っ赤な薔薇が、とっても綺麗に咲いているんですって!!」
「・・・あなたは、見てないのですか?」
 王城にあるのは、白い薔薇では? という問いをすんでで飲み込む。
「ええ、まだ見てないの」
 女王は不思議な笑みを浮かべた。
「庭師がね、毎朝、部屋に花園の花を持ってきてくれるんだけど・・・赤い薔薇は、まだなの。
 昨日は白い薔薇、一昨日は白いカスミ草、その前が白いチューリップだったかしら。”赤”は、まだなの」
「・・・は」
 異常だ。アリスは身体が強張るのを確かに感じた。しかし、足取りだけは軽やかで、ステップを踏むかのように軽く動いていた。
 もはや、アリスと切り離されて存在しているに違いない、”アリスの足”・・・。
 逃げたい、と思った。
「でも、昨日、庭師が言ったの。赤い薔薇が咲きそうだって・・・。何でも蕾を見つけたらしいの。
 わたしね、それを聞いたら、どうしても見たくなってしまって・・・アリスにこんな我がままを言ってしまったの・・・」
 ただ、うっとりと呟く。
 そして、アリスを見た。
「・・・実はね、今日、庭師がわざわざ朝早くから、わたしの部屋に花を届けてくれたの。
 わたしが、赤い薔薇を見たがった所為かしら・・・赤い、とっても赤い、薔薇の花をね・・・」
 その瞳が、うっとり夢見がちに潤む。
「綺麗に飾ってくれたのだけど、まだ開ききれていな固い蕾みだったの。庭師が花園で今日咲きそうな薔薇がたくさんあるって教えてくれたの。わたしね、もっとたくさん、赤い薔薇の花が咲いている所を見たくなったの。
 とっても綺麗だったの。もっと見たいって、アリスと二人で見たいって思わせるくらい素晴らしくて・・・」
 女王は満足げに微笑んだ。
「だから、今日はずっと待ってたの。アリスが来るのをずっとずっと待っていたのよ?
 アリスったら会いたい時に限って、いつも、遅れてくるの。今日も、いつまで待てばいいのか、わたし、不安に思っていたのよ? だから、さっき、あんなに急いでしまったのね。ごめんなさい、アリス・・・。
 わたし、無理やりアリスを連れて行くつもりなんて、全然なかったのに・・・アリスに会うと嬉しくて、思わず・・・。
 本当よ? それだけは信じてね?」
 女王は謝罪を口にしているが、その手は離さず、アリスをそのまま引っ張り続けた。
 アリスは、女王の言葉と行動の差に、頭が混乱しそうだった。
「女王様・・・私は、花園へ行きたくありません・・・」
 声を振り絞っていった。
「まあ、どうして?」
「どうしてと言われても・・・どうしてもですとしか・・・」
「アリス、今日は何か予定でもあったの?」
「さあ・・・あったかもしれませんが、よく分かりません。今は、一体、いつの何時になるのでしょうか・・・?」
「あら、アリス。それすらも分からなくなっているの?」
 女王は可笑しそうに笑った。
「それなら、大丈夫ね。アリス、今日はわたしと花園に行くというのが、あなたの予定よ」
「そんな・・・覚えは・・・」
「アリスったら。最近、おかしな人ね。すごく忘れっぽくなっているみたい。気をつけた方がいいわ」
「でも・・・」
「それにしても・・・」
 女王がガラリと口調を変えて言った。
「アリス・・・あなたを見てると今朝見た薔薇の花を思い出すわ・・・。
 だってね、アリス。その赤い薔薇の花はね・・・そう、まるで、アリスのその赤い唇みたいだったから・・・」
 魅せられたように、アリスを見ながら微笑む女王。
 その緩やかな微笑みは、神経を震え上がらせるのには充分だった。アリスは恐怖で口が戦慄くのを感じた。
 しかし、その時、女王はもうアリスを見てはおらず、ただ前方を指差してこう言った。
「アリス、着いたわっ!!」



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